葵マガジン 2020年08月01日号

  • 2020.08.01 Saturday
  • 16:07

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇
 

第11話 舞子、忍び込む 後編(全40話)

 

「病気?」舞子は驚いた。「何の?」
「わかんないんだけど」少年は肩をすくめた。「そのせいで外へは行けないって、おじいさんが云ってた」
「そうなんだ……」舞子は胸にちくりと痛みを覚えた。どうしたらいいんだろう。とっさにそんな想いが湧き起こった。
不思議だ。
 初めて会ったばかりのこの少年に、どうして自分が『どうにかする』必要がある──?
 というよりも、自分に一体『どうする』ことができる──?
「なるほど」背後の声に、舞子ははっとして振り向いた。大石だった。「しかし、これはまたどういうことだろう──」彼は珍しく不思議そうに首を傾げ、陽を見つめた。
「大石くんでもわかんないことがあるのね」舞子はにやりと笑った。
「わかんないのではなく、現在解析している最中なのです」大石はきっと舞子を睨んだ。「わかんないことなんて、ないです」
「あそ」舞子はぷいっと陽の方へ向き直った。
「そっちの人はだれ?」陽は大石を見て云った。
「大石といいます」魔法使いは名乗った。
「大石さん?」陽はにっこりと笑った。舞子はまた胸に、甘い痛みを感じた。「大石さんは、ラーメン好き?」
「は?」大石は声を裏返らせた。
「うふふ」少年は無邪気に笑う。「おじいさんや瀬良さんと同じ服着てるから、そうなのかなって思って」
「──よくわかりませんが」大石は眼鏡を指で押し上げた。
「あるんじゃん、わかんないこと」舞子は呟き、大石の横目線に突き刺された。

 

     ◇◆◇

 

「ああ、春日くん」ダイニングルームに戻ると築山博士が声をかけてきた。「わしはこれからちょっと出てくるから晩飯はいらんよ」なぜか彼は舞子と目を合わせもせず、さっさといなくなった。
「今、何時?」舞子は時計を探しつつしもべに訊ねる。
「午後五時半です」大石が答える。
「えっ、もうそんな時間? 夕飯作らないといけないってこと?」
「あなたの作業スピードをかんがみれば、そろそろ取りかかった方がよろしいかと思われますね」大石はうなずいた。
「むっかつく」舞子が手を伸ばすと同時に大石が消えると同時に瀬良がダイニングルームへ入って来た。
「ああ、春日くん」瀬良は声をかけた。「私はこれからちょっと出かけてくるから、食事は結構だよ」そうして彼も、そそくさといなくなった。
 ぼん、と音がして、また大石が現れた。「お二人とも、見事な回避行動と云えますね」
「カイヒ行動?」
「ということは今宵はここであなた一人で食事をしなければならないということですね」
「えー淋しいなあ……あれ」舞子はふと廊下の方を見やった。「あの子はどうなるの? 陽くん」
「彼には、食事は必要ないでしょう」
「えっなんで」舞子はびっくりして大石を見た。
「彼はあの容器から外に出られないのだと云っていました」大石は考えを述べた。「食事のしようがないではないですか」
「でも──じゃあの子って、いっつも何も食べてないってこと? まさかそんな」
「──」大石は答えず、顎をつまんで何事か考え始めた。
 舞子はスチール製のストッカーを開けた。
 なんとなくその中にインスタントラーメンの一つや二つぐらいは転がっていそうな気がしたのだ。「──」そして彼女は取っ手を持ったまま固まった。
 塩味、味噌味、醤油味、とんこつ味、カップ、袋──そこには各社各種のインスタントラーメンが、まるでコンビニの商品棚のごとく、何十個も並んでいた。
「むう」舞子の肩越しにそれを見た大石が唸った。「見事なコレクションだ」
「コレクション?」舞子は振り向いた。「じゃこれ、食べちゃいけないってこと?」
「あの博士、相当のラーメン好きと見えますね……ふむ……ある意味、極めているといえる」大石は腕組みをし、何度もうなずいた。築山のことを少し尊敬し始めてでもいるかのようだった。
「あれっ、これ」舞子は突然そのラーメンコレクションの中の一つを取り出し、しげしげと眺めた。「うわ、このカレーラーメンってまだあったんだ。懐かしーい」振り向いて大石に見せる。「ねえ見てこれ! あたしが幼稚園の年長の時に売られてたんだけど、一年後に確か違法な添加物が入ってたとかで店からなくなっちゃったのよ。俳優の沖村俊哉が子役時代にCMやっててすごい美味しかったんだけど──わあーもうてっきり製造中止だと思ってたら復活してたんだあ。すごいレアものだよこれ」
「度し難いラーメンオタクですね」大石はコメントした。
「──なんか待遇にえらい差がない?」舞子はラーメンを手にしたまましもべを睨んだが「でも、いいや。これ食べさせてもらおうっと」すぐに笑顔になり調理に取りかかった。即ちお湯を沸かし始めた。
 しかしそれを待つ間にも、やはり気になるのは陽のことだった。
 舞子は調理を中止し――即ちコンロの火を止め、もういちど書斎へと向かった。
 ドアには鍵が掛かっている。
「壁抜けして」舞子は振り向いてしもべに頼んだ。
 大石に代わって木多丘が飛び出し「んじゃ、さっきのレアものラーメン半分くれるか?」とにこにこしながら云った。
「えー、ダメ」舞子は眉をひそめた。「ラーメンなら他にあるじゃん。あれはダメ」
「ちぇ、けち! そんならやらねえ」木多丘は膨れて急須に引っ込んだ。
「はあ?」舞子は口をあんぐりと開けた。「もしもし? 命令拒否? それでもしもべ?」沸々と怒りがわいてきて、彼女は床上の急須にまくしたてた。
 ぼん、と白煙が上がり大石が出てきた。「これからは魔法使いも主人を選ぶ時代となっていくことでしょう。あなたも重々お気をつけ下さい」注意を促す。
「あんたら」舞子はこめかみにどくどくと脈を感じた。「しまいにゃ割るわよ」
 大石はすっとしゃがんで膝を突き、ドアノブに手を添えてじっと鍵穴を見つめた。
「──何してんの?」舞子は訊いた。
「ふむ」大石はやがて、鍵穴を見つめたまま両手を空中にかざした。するとその空間にぼん、と小さな白煙が上がり、パソコンのディスプレイとキーボードが現れた。
 舞子が呆然と見つめる中、大石は鍵穴と空中パソコンを交互に見ながらキーボードを叩いた。
 画面には訳のわからない文字や記号がどんどん現れる。
 するとまたぼん、と白煙が上がってパソコンが消え、今度は銀色に光る一個の鍵が姿を現した。
「これでドアは開きます」大石は空中に浮かぶ鍵を掴み取り舞子に渡した。
「まじ?」舞子が声音を失いつつも鍵穴にそれを差し込むと、果たして錠はかちゃりと外れた。「なんでそんなんでこんな鍵とか作れるわけ?」
「慣れです」大石はそっけなく答えた。
 ドアを開けると、部屋はやはり白い光に照らされていたが、巨大佃煮瓶の中に少年はいなかった。
「あれっ」舞子は驚いて瓶に近づき、よく観察した。しかしその中には一様にただ白い光が満ちているばかりだった。「陽くん?」ガラスをこつこつとノックしてみる。
 すると突然、瓶内を満たしていた白い光がゆらり、と動いた。
 舞子ははっとして体を遠ざけた。
 光はゆらゆらと揺れながら収縮していき、最後にヒトの形にまとまった。
「あ、舞子さん」ヒト形はにっこりと微笑んだ。「ちょっと昼寝してたんだ」陽だった。
「──ああ、そうなんだ」舞子は目を丸く見開いたまま口だけ微笑み返した。
「ふむ、なるほどね」大石が顎を撫でて満足そうにうなずいた。
「あの、陽くんは食事とか、しないの?」舞子はおずおずと訊ねた。「あたしこれから、ラーメン作って食べようかと思うんだけど、そんなものでよければ陽くんも一緒に」
「ラーメン?」陽の表情が比喩的にぱっと明るくなった。「わあー、いいなあ! ぼくも食べてみたいなあ!」叫ぶように云う。
「そ、そう? そんなんでよければ」舞子はこの少年を本当に可愛いと思った。
「でも、ぼく食べられないんだ」陽はしかしすぐにしょんぼりとしおれた。
「え──なんで?」舞子は思わずガラスに手を当てた。「ここから出られないから?」
「うん」
「そっか……でも、お腹すくでしょう?」舞子は心の底から心配した。
「ううん、大丈夫」少年は微笑を取り戻して云った。「ありがとう、舞子さん」
「──そう」舞子は了解せざるを得なかった。「じゃあ、また来るね」
「うん」陽はうなずき「明日が、間違いなく来るといいね」そう云った。
「えー?」舞子はドアに向かう足を止めて少し吹いた。「そりゃ来るよお。なんで?」
 しかし陽は何も答えず、ただ微笑んでいるだけだった。

 

◇◆◇◆次号へ◆◇◆◇
 

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葵マガジン 2020年07月25日号

  • 2020.07.25 Saturday
  • 21:51

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇
 

第10話 舞子、忍び込む 中編(全40話)

 

「何かしらね」優美もすぐに気づいたらしくじっとそれを見つめた。「行ってみましょう」
「いいのかな」舞子は少しためらった。
「もしかしたら、タイムワープ計画に何か関係のあるものかも知れないわ」
「えっ、あの光が?」舞子は驚いた。
「もちろん証拠はないけど──でも何につけても一応調べとかないとね。行きましょう」優美はそう云って椅子から立ち上がった。

 

     ◇◆◇

 

 廊下には誰もおらず、この広い家屋内は本当にひっそりとしていた。
「あの二人以外、誰も住んでないのかな」舞子はなんとなく声をひそめた。
「ふむ」優美は不意に立ち止まった。「あの一番奥のドアね」
「あそこ?」舞子は指差し確認をしながらその方へ歩いていこうとした。
「待ちなさい」優美は彼女の主人の襟首を捕まえ停止命令を下した。「築山氏が中にいるようだわ」
「え、やばいの?」舞子は襟首を持たれたまま、振り返って訊いた。

 

 しゅッ。
 ぼん。

 

 いつものことだがいつの間にかくっついて来ていた急須が舞子の足元で白煙を上げ、優美の立っていた位置に巨大な体が現れた。
「ひろみちゃん?」舞子は顔を一段階上に向けた。「何をしようっていうわけ?」急に何か不安な思いが彼女の中に生まれた。まさか天井をばりばり突き破って梁の上からそっと下をうかがおうというのではないのか──
「壁の中に入る」木多丘はそう云うと、ひょいと舞子を抱き上げた。
 舞子が音を立てて息を吸い込むのと、周りの景色が瞬時に粒子状となり猛スピードで遠くに拡散していくのとが同時に起こった。
「わああ──っ」舞子は思い切り悲鳴を挙げた。
「ああもう」木多丘は顔を背けた。「うるせえって何べんいやあわかるんだ」
「だって、だって」舞子はきょろきょろと辺りを見回した。
 周囲は、砂漠が縦になったような景色に変わっていた。
 いや、単純に「縦」というのではない。
 上を見ても下を見ても、もちろん右を見ても左を見ても、文字通り辺り一面が砂漠の砂だった。
 舞子は木多丘の首にしがみついた。「なな、何これどうなってんの」
「だから、壁の中に入ったのよ」木多丘はそんな中を、舞子を抱っこしてすたすたと歩き出した。砂は特に彼を避けたり退いたりする様子でもなかったが、そうかといって彼の行く手をさえぎるものでもないようだった。
「か、壁の中って」
「ほら、ここならよく見えるだろ」木多丘が右手で目の前をすっと拭くと、砂の一部が窓状にさらりと取り払われ、いきなり部屋の中の風景が現れた。
 そこはフローリングの落ち着いた書斎で、築山博士のものらしい後姿が立っていた。
「うわっ」舞子は声を挙げてから、自分の口を押さえた。
「大丈夫、聞えやしねえよ」木多丘はそう云って舞子を下に下ろした。
「ほ、ほんとに壁の中なの、ここ?」舞子は今一度上下左右を見た。「すごい……どこでも入り込めちゃうんだ」
「まあね」木多丘は腰に手を当てふんぞり返った。「ただ人間の脳の中にだけは行けないけどな」
「なんで?」
「人間の脳ってのは、ものすげえ特異なつくりの迷路だから、俺らでも危険なんだ」
「えっ、そうなんだ」
「先生坊主の説明でも聞くか?」
「大石くんの?」舞子はぴくりと眉をひそめた。「いや、いい──それより、さっきの光は」部屋の中の様子を見やる。
 築山博士の向こうに、その“光源”は存在しているようだった。
 そこから放射状に、真っ白な光の出ているのが見える。
 しかしそれは、巨大なガラス製の容器の中に──例えてみれば巨大な佃煮の瓶の中に閉じ込められているようだった。
 築山博士はその光の方向に向かって、手を挙げたり肩を揺すったり、うなずいたりしていた。
 何と云っているのかその声までは聞えなかったが、それは明らかに、誰かと会話をしているように見えた。
「瀬良さんがいるのかな」舞子は呟いた。
「ふむ」再び戻った優美の声が背後で答えた。「彼ではないようだわ──なんだか、匂うわね」振り向くと彼女は腕組みをし、目を細めていた。
「匂うって?」舞子は訊いた。
「まあ、待って」
 優美がそう云ってしばらくすると、築山博士がその場を離れた。
「──あっ」舞子は叫んだ。
 博士の向こうにあったもの、博士が親しげに話しかけていた相手が、そこに見えたのだ。
「よし──出ましょう」優美がそう云うと爆発音がして白煙が上がり、舞子はもろにその煙を吸い込み咳き込んだ。
「もう、この狭いところで煙上げないでよ! 副流煙よこれ!」舞子はクレームをつけながら再び木多丘に抱きかかえられ、砂の粒子がたちまち去っていき、代りに赤・青・緑の粒子が集まってきて書斎の景色を周囲に形づくった。
 舞子は今、博士の会話の相手を間近に見ていた。
 そして彼女の視線はそこから動けなくなってしまった。

 

 ひかりのいずみ。

 

 溢れるほどの放射線。
 真っ白い輝き。
 舞子は我知らず、そのガラスに手を触れていた。
 眩しいのに、瞬きをする時間さえ惜しいような──ただぽかんと口を開けていつまでも見ていたいような、美しき神秘の灯が、その中にたゆたっていた。
 そしてその光の源は、一人の人間──舞子より少し小さな体の、少年だったのだ。
 彼もまたガラスの向こうからじっと舞子を見つめ、涼しげな一重瞼の目を丸くしていた。
 髪も、肌も、瞳も唇も──白い。
 けれどそれは、異常だとか気味が悪いだとか思わせるものでは決してなく、敢えてそれを形容するならば、ただ

 

 ひかりのいずみ

 

 その語句でしか表し得なかった。
「君は──だれ?」真っ白い少年は訊ねた。
「あ」舞子はやっと瞬きを再開させた。「あたしは、か、春日──舞子」声がかすれる。
「舞子、さん?」白い少年は訊き返し、それからにっこりと顔全部で笑った。「ぼくは陽」
「ひなた?」舞子は云って、自分もまた微笑んでいることに気がついた。不思議だ。別に微笑もうと思ったわけでもないのに──「お日様みたいに光ってるから?」
「うふふ」陽はまた笑った。
「ははは」舞子も笑った。不思議だ──
「あっ、もしかして君は」陽は突然目を丸く開いて、ガラスの向こうから舞子を指差した。「タライマワシにされている子?」
「は?」舞子は微笑みから怪訝な顔にスライドした。
「おじいさんが瀬良さんに云ってたんだけど、君の事じゃないのかな?」陽は無邪気に小首をかしげた。「かわいそうな子だから、ここに置いといてあげたいって、おじいさん云ってた」
「おじいさんって……築山博士?」
「うん、そう」陽はまたにこりとしてうなずいた。
「かわいそう……?」舞子は床を見下ろして呟いた。なんだかよくわからないが、とにかく築山は瀬良に、自分をここに住まわせることを了承させたらしい。ひとまず喜ぶべきなのだろう。「ところで陽くんは……なんでそんなガラスの中に入ってるの?」
「うん」陽はガラスに手を触れ、上を見たり左右を見たりした。「ぼく、外へは出られないんだって」
「どうして?」
「ぼく、ビョウキらしいんだ」

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葵マガジン 2020年07月18日号

  • 2020.07.18 Saturday
  • 20:39

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第9話 舞子、忍び込む 前編(全40話)

 

「おじいさん、疲れているみたいだね」陽(ひなた)はほんの少し眉をしかめて、ガラス瓶の内壁に手を当てた。
「ははは、いや……」築山は孫に心配させまいと、無理に笑ってみせる。
「──」少年はしばらく祖父を見つめていたが、やがて微笑を取り戻した。「ねえ、オヒルは何を食べたの?」
「え」博士は一瞬、陽の顔に視線をへばりつかせた。「ああ、ええと今日はな、んん、何といったかな……」
「サカナ?」陽は首を傾けた。彼は、博士がその日食べたもののことを聞くのが好きだった。なぜなら、それは彼にとって“憧れのこと”だったからだ。「それとも──ニクジャガ?」
「いや、今日はなんだか、洋風のものだったよ」
「ヨウフウ?」陽は目を見開いた。
「ああ、ええーと、何とかいう料理だったが何だったかな」博士は必死で脳内に散らばる記憶の断片たちをサーチした。
「ヨウフウって“おいしい”?」陽はにっこりして訊いた。
「うーん」博士は腕組みして唸った。「ラーメンほどじゃなかったな」
「そうなんだ」陽は面白がった。「ラーメンって、よっぽどおいしいものなんだね。おじいさん、いちばん好きだもんね」
「ははは」博士は薄く笑った。
「ふふふ」少年も笑った。
 なんだっていい。
 築山にとって、陽のその笑顔がありさえしてくれれば、自分の食べるのがラーメンだろうがニクジャガだろうが、わけのわからない洋風料理だろうが構わなかった。
「あの娘には当然このことは教えてませんよね?」突然背後からかけられた声に、築山は飛び上がった。
 瀬良が、いつの間にかそこに立っていた。
 およそ慈悲のかけらもない、冷たく澄んだ表情だった。
「も」博士は深く頷いた。「もちろんだ」
「というか、何故私に一言の断りもなく彼女をここへ来させたのですか?」瀬良は不愉快げに眉を顰めた。「今がどういうときなのかおわかりにならないのですか?」
「そ、それはその」博士は脳をフル稼動した。「あの子は両親を亡くして親戚中をたらい回しにされている、かわいそうな子なんだ。今回はわしが面倒を見る番で、断るわけにはいかないんだ。親族一同の間の掟だから──それに断ると却って怪しまれ穿鑿を受けることにもなりかねん、表向きは飽くまで平常を保っていた方がいいだろうと思ってのことだ」いつもは素粒子専門にやっている彼の脳細胞たちが、ここまで物理学と無関係の情報を大量にしかも急激に伝達するという行為は、彼に多大なエネルギーを消耗させた。
 瀬良は冷たい表情を変えることなく、ふん、と鼻を鳴らした。「まあ──たとえ知られたところで“仕事”が無事済んでしまえばどうということはないですがね。その時には彼女の記憶も消えてなくなるだろうし」
「そ、そうだな」
「それどころか彼女自身の存在さえ、あるいは消えてしまうかも知れませんしね」瀬良は楽しそうに目を細めた。
 築山は言葉もなく助手を見た。
 くっくっ、と助手は肩を揺すって笑った。
「瀬良さんも“ヨウフウ”を食べたの?」陽が出し抜けに訊いた。
「──」瀬良はぴたっと笑うのをやめ、ガラスの中の少年を睨んだ。
「ねえ、瀬良さんもやっぱり、ラーメンの方が好き?」陽は無邪気に問いかける。
「私に話しかけるな」瀬良は下瞼をひくつかせながら低く呟いた。「この、異常物──」
「陽に辛く当たるな」築山が声を荒げた。「なんでお前はいつもそんな風に──」
「あなたは知っているはずだ」瀬良は冷徹に云い返した。
「──」築山が凍りつく。
「その科白──私こそが云うべきものだと」

 

     ◇◆◇

 

 舞子は食器を片付けていた。
「ねえ、これって食器洗浄機かな? これにお皿入れればきれいになるのかな」台所に設えられてある、コインランドリーの大型洗濯機をさらに巨大化させたような機械を指差して、舞子はしもべに訊ねた。
「あら、それは加速器よ。それに皿なんか入れたら皿からニュートリノが出てくるわよ」答えたのは優美だった。
 舞子は仕方なく腕まくりをして、山岳地帯の冷たい水に手をさらし食器を洗い始めた。
「ねえ」洗いながらまた背後のしもべに訊く。「あのポトフ、博士に改心してもらう効果あったかなあ」
「うーん」答える声は正吾になっていた。「彼はあのポトフのことを、ラーメンほどじゃなかった、って思ってるみたいだね」
「く」舞子は苛ついた能面のような顔になった。「もう、やめようかな」
「まあまあ、そういわずに」声はまた優美に戻った。「グレート・スピリッツからのたっての願いなんだからさ」
「はあ」舞子はため息をついた。グレートだかブラボーだか知らないが、よくも気楽にこんな面倒な仕事を押し付けてくれたものだ。
 水は使ううちにますます冷たくなってゆき、舞子は親指のつけ根の辺りに痛みさえ感じ始めた。
 ヒビ、アカギレという恐ろしい単語が脳裡に浮かぶ。
 後片付けが済むと、舞子はダイニングルームの椅子に腰かけてひと休みした。
「ねえ、あの……瀬良っていう人、あの人もタイムワープのことは、知ってるわけ?」彼女はまたしもべに訊ねた。
「そうね──同じ屋根の下に住んでいて助手をやってるぐらいだから、それは当然知っているでしょう」優美は向かい側に座って頬杖をつきながら答え「結構、いい男だったわよね」と云って、舞子を吸い込まんばかりに目を剥きばしっとウインクした。
「あの、融合体が?」舞子は声を落し答えた。「でもちょっと冷たそう」
「そういうのがまた、そそるのよう」優美は中年のおばさんのように手首のスナップを利かせて宙を叩いた。
「ははは」舞子は声は笑えど笑えなかった。
 それにしても──静かだ。
 窓の外を見る。
 山が周囲に聳え立っている。
 緑ばかりが目に映る。
「にしても、ここって変だよね」舞子は目を細めて外の景色を眺めながら呟いた。変、とはつまり、この建物が余りにも周囲の景観にそぐわないという意味だ。「なんで築山博士って、こんな山奥で研究してんの? 大学とかじゃなくて」
「ふむ」優美はぐるりと、舞子が見ている窓の方へ体をねじ向け脚を組んだ。「まあ、隠匿のため、でしょうけどね」
「イントク?」
「つまりタイムワープ研究をやってるってことを、世間から隠しとくためによ」優美はキッチンの方へ目を向けた。「さっきの加速器もだけど──機器類なんかも、あっちこっち雑然と置きっぱなしで、いかにもマッドサイエンティストの独壇場って感じの“研究所”だわ」
「うん」舞子は頷いた。「あの、タイムマシンも」普通の人間ならば恐らく十人中十人があれをタイムマシンだと見極めることなどできないだろう──魔法を駆使するしもべでも所有していないかぎり。
「逆にいえば、彼はそれだけ本気だってことね」優美は舞子に目を戻した。
「本気?」
「そう……何がなんでも、タイムワープを実現させてみせるっていう意気込みの現れだわ──完全なるマッドサイエンティストね」
「だけどタイムワープって、本当にそんなにしちゃいけない事なの?」舞子は訊ねた。「誰だってさ、たとえば自分のご先祖がどんな人だったかとかさ、歴史の好きな人だったらあの時のあのできごとの真相はとか、見てみたいって思ったりするじゃない。ただ見てくるだけでも、罪になるのかな」
「グレート・スピリッツにとってはね」優美は答えていった。「いつだって“法律”なんてそんなものよ。本当にそれが正しいという“真実”を作り出すわけじゃない──ただ、一応おもてむきそういうことにしておかないと、時空にまとまりがなくなるのではないかってことで、適当にでっち上げられてるだけよ」
「でっち上げ?」舞子は苦笑した。
「そうよ。だから世の中が変わるたびにどんどん改正されていくわけよ。“新たなでっち上げ”が必要になるたびにね」
「じゃあもしかしたらタイムワープも、いつか合法的なものになるかも知れないってこと?」
「すでにどこかの時空では、そうなっているのかもね」優美は肩をすくめた。「ここの時空ではまだまだだし──いつかそうなるものかどうかも、わからないけど」
「ふうん」舞子は口を尖らせて軽くうなずきながら、窓の外にもう一度目をやった。
 きらり、と何か白いものが視界に現れた。
「ん?」舞子は注視した。
「どうしたの?」優美もその視線を追って振り向く。
 白い光はこの建物から続く翼の端の窓から見えていた。
 きらり、きらりと、それは断続的に灯ったり消えたりしている。
「あの光、何だろ?」

 

◇◆◇◆次号へ◆◇◆◇

 

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葵マガジン 2020年07月11日号

  • 2020.07.12 Sunday
  • 09:31

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇

 

 第8話 築山、怒る 後編(全40話)

 

 案内されたのは、狭いが上等なシステムキッチンだった。
 とはいえ科学者の住まいであるから、本当に料理をするためのスペースなのかどうかはわからなかった。
 もしかしたら『普通の人間ならば食べない物』を、ここで切ったり煮込んだりしているのかも知れない。
 舞子がその空間で一人きりになったとたん、部屋の隅で白煙が上がり大石が出てきた。
「ねえ、さっきの物まね!」舞子は興奮して訊いた。「すごい似てたよあたしに! 気味が悪いぐらい似てた! あれやったの、優美さん?」
「あれは木多丘です」大石は冷静に答えた。
「えっ」舞子は口を押さえて目を剥いた。「ひろみちゃん!? うわ、そうなんだ、物まねって、物理力稼動になるんだ」
「いえ、くじで負けたんです」
「は?」舞子は眉を寄せた。「くじ?」
「さて、料理を開始いたしましょう」大石は腕組みをした。
「え、今回は大石くんが料理するの?」舞子は魔法使いを指さした。
「実際に手は下しませんが調理の方法をお教えいたします」
「ひろみちゃんは?」
「熱を出して寝込んでいます」
「熱──」
「しかし料理の前に、今回もあなたのクローンを自宅の方に置いておく必要がありますね」大石は左手首の腕時計を見て云った。
「髪の毛はやめてよ」舞子は自分の頭を押えて一歩後ろに下がった。
「別に髪の毛でなくても構いませんよ」大石は両手を広げて肩をすくめた。「歯でも指でも、目玉でも」
「──ほら」舞子は自分で頭髪を一本抜いて手渡した。大石はそれを舞子の自宅へと飛ばした。
「それでは料理を開始いたしましょう」
「うん。どうやるの?」
「食材を切断し加熱し調味するのです」
「──」
「では、どうぞ」
「あのさ」
「お急ぎになった方がよいのでは」大石はまた腕時計を見た。「あの瀬良という男、見かけは穏やかそうですがかなり厳しい性格のようですから、下手をするとつまんで追い出されますよ」
 舞子は唇を噛んで冷蔵庫から食材を取り出した。
 野菜とベーコンを使って、適当にポトフを作ろうと決めた。
 中学の時に家庭科で作ったことがある──彼女がきちんと出席して最後まで受け、しかも記憶に残っているという、貴重な授業だ。
「えーと……とりあえず野菜を、切る?」舞子は何者かに質問しながら首を傾げ、包丁を取り上げた。「えーと」多少逡巡したのちキャベツにざく、と刃先を入れる。
「洗浄なさらなくてよいのですか」大石が背後から眼鏡を白く光らせて云った。「その野菜には残留農薬の付着している可能性があります」
「あっ」舞子はキャベツを刺したまま固まった。慌てて刃物を引き抜き、切り傷のついたキャベツを両手で持ち上げて、おろおろと左右を見回し流し台へと運ぶ。「洗うのね?」また首を傾げて誰かに質問する。
「三十秒ほど流水にさらすことによって残留農薬は消され得るものと思われます」大石は妥協を許さぬ厳格な監督のように見守っていた。
 舞子は結局自力で肉と野菜を切り、鍋に入れて火にかけ塩こしょうで適当に味付けして煮込んだ。
「さてと、じゃあ味見するかな」しばらくたってスプーンで煮汁をすくい、少し飲んでみた。「──」そのまま彼女は止まった。
 まずい。
 それしか頭に浮かばなかった。
「ねえ、これって──」大石に助けを乞うべく振り向くと、正吾になっていた。「うわ」思わず目を剥く。
「貸してごらん」正吾は瞳に微笑をたたえて舞子からスプーンを受け取った。そして同様にスープをすくい、まず香りを嗅ぎ、それから照明の下に持っていって目の高さにそれを掲げ、くるくると横回転させて色を眺め、おもむろにずずず、と音を立ててそれをすすり、じっと目を閉じ、くふー、と鼻から息を洩らした。
 数秒の沈黙があった。
「……んん」正吾は低く唸った。
 舞子はいやな気がした。これで一言「まずいね」と云われた暁には、このやさ男の鼻面をグーで殴ろうと思った。
「だしが良く出ていないな」正吾は舞子に審査結果を伝え始めた。「家庭料理じゃあ、じっくりスープを取ってる時間がないから、固形ブイヨンを少し足した方がいいよ。それから塩をもうひとつまみと、砂糖をほんの少し、あとシャルドネの白ワインをスプーンに二杯ぐらい加えるといい」
「シャルドネ? でも」舞子はきょろきょろと辺りを見回した。「そんなおしゃれなお酒、なさそうっぽいけど」
「ああ、あそこにある、あれ」正吾は台所の隅を指差した。『雲泥』と書かれたラベルのついた一升瓶が床に直に置いてあった。「あれを代わりに使うといい」
「──いも焼酎じゃん」瓶を持ち上げて舞子は突っ込みを入れた。「シャルドネと、えらい違うっぽいけど」
「何も加えないよりはましさ」正吾は微笑んで肩をすくめた。
 舞子は指示通りのものを鍋に入れた。
「こんな感じ?」正吾に確認するべく振り向くと、大石になっていた。「もう」彼女は毎度のことながら疲れた顔をした。「ほんとに忙しいったらありゃしないわ」
「あなたの云うことではないでしょう」大石は冷たく答えた。「こき使う側のくせに」

 

     ◇◆◇

 

「陽(ひなた)」築山博士は特殊ガラスに手を触れた。
「おじいさん」少年は顔中に笑みを湛えて内側から博士と同じところに触れた。「病気でもしているんじゃないかって思った」
「ああ、すまん──急な来客があってな」
「お客さん?」陽と呼ばれた少年は小首を傾げた。「おじいさんの、お友達?」
「い、いや──」博士は苦笑しながら言葉を濁した。「それよりも、今日は調子はどうだ?」
「ふふふ」少年は笑った。「おじいさんは、いつもそう訊く──でもぼくの答えも、いつもと同じだよ。別にどこも痛くないし、苦しくもないし、辛くも悲しくもない」くすくす、と彼はなお笑いつづける。
「ふふふ」博士も笑った。「でも一応訊かないとな──お前は大事な、孫だから」
 少年は真っ白な光の中で静かにうなずいた。
 その光は彼自身の体が発するものだった。
 褐色ガラスの向こうで彼をいたわるおじいさんは、他の物体たちと同様、やっぱり薄暗い色をしていた。
 だけどそんなことはどうでもいいのだ。
 少年・陽にとって築山は、この世でたった一人の家族だった。

 

「あの、お料理できましたけど」舞子は廊下に向かって声をかけた。
 築山博士が部屋から出て来て、ダイニングルームのテーブルの傍に佇んだ。
「これは、何かね?」卓上の皿の中のものを見下ろす。メインディッシュの他にはロールパンとサラダが置かれてある。
「あ、あのポトフ……です」舞子は照れ隠しに、うふふ、と笑った。
「ふうん」博士はにこりともせず、ふいと台所の食品ストッカーの方を見た。「どうせインスタントラーメンぐらいしか作らんだろうとおもってたんだが……わし、ラーメンがよかった」
「――」舞子は微笑みの表情のままで絶句した。やがて腹筋が、そして肋間神経が、さらに上腕三等筋及び僧坊筋が震え出した。
「ああ、中々いい匂いがしてますね」瀬良がダイニングルームへ入って来た。「早速いただきましょうか」テーブルにつき、スプーンを手に取る。
 博士はその向かい側でやはりスプーンを手に持ったが、瀬良が料理に口をつけるのをそっと観察していた。
「うん、中々うまい」瀬良はそう云って続けざまに料理を口に運んだ。
 築山はほう、と微かに息をついて、やっと彼のスプーンに料理をすくい取った。
「どうしたんですか博士、毒が入っていないかどうか、私でお試しにでもなっているんですか?」瀬良がだし抜けに訊いた。
 かちかち、と博士の手のスプーンが皿を小刻みに叩いた。「ははは」彼はごく小さく笑った。
 舞子はくるりと振り向いてキッチンへと戻った。
 大石が佇んでいた。
 舞子はそれまで保持していた微笑を顔面上から全削除した。
「やっぱりあんたとあのおじさんはねえ“同士”よ。あんたが何と云おうと、絶対そう」低く囁く。「狡猾で、卑怯で、冷徹で、自分中心主義で、人を人とも思わないで」
 大石は珍しく口を閉ざしたままだった。黒目が一瞬、舞子を避けようとしたようだったがそれは失敗し、彼は俎上の魚と化して睨まれつづけた。

 

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葵マガジン 2020年07月04日号

  • 2020.07.04 Saturday
  • 15:03

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第7話 築山、怒る 前編(全40話)

 

 少年は、膝を抱えて座っていた。
 いつもよりも、今日はおじいさんの来るのが遅い。
 といっても、何も彼と毎日決まった時刻に会うという契約を交わしたわけではないのだが──もしかして、何か来られない事情ができたのかも知れない。
 仕事で忙しいとか──しかしその程度のことならいいけれど、まさかおじいさんが怪我をしてしまったとか、急な病に倒れたとか──少年は少し悲しげに目を細め、窓の方を見た。
 間もなく昼になる頃で天気も好いので、窓の外は明るくまぶしいほどだった。
 本来ならば、そう思わせるはずだ。
 だが少年の目には、そうは映らなかった。
 彼の目に見えるその窓は、薄暗い色の板にすぎなかった。
 窓だけではない。
 周りのすべてのものは、彼にとっては『薄暗い』ものたちばかりだった。
 なぜなら彼は特殊ガラスの瓶の中にいて──
 その瓶は白い光に満ち溢れていて、それがためにすべての他の光の反射を彼のもとに届きにくくさせているのだ。
 そしてその光は、他でもない彼自身が発しているものだった。

 

     ◇◆◇

 

 その頃彼の「おじいさん」は応接室で、突然現れた“自称魔法使い”たちを前に言葉を失い汗をかいていた。
「飽くまで嫌だといえば、どうする?」低く押しつぶされたような声を絞り出す。「わしを……殺すか?」
「まさか」舞子は慌てて手を振った。「そんなことしませんよ、ただタイムワープをやめていただきたいだけで」
「それとも、ご自分の命よりタイムワープ計画実行の方が大事かしら?」優美は逆に訊ねた。
「──」博士は答えず、ガラスのテーブルを凝視した。
「いや、優美さんそんな」舞子はまだ立ったままでしもべの魔法使いを止めた。「それじゃまるで殺す気満々みたいじゃん」
「あはは、バカねえ」優美は真っ赤な唇を大きく上下に開いて愉快そうに笑った。「もちろんそんなこと、まだしやしないわよ。あんたの命令が下るまではね」

 

 ザッ

 

という赤い擬音がつきそうなほど必死の形相で、博士は舞子を見た。「頼む、今は待ってくれ。もう少しだけ、もう少しだけわしを殺すのは」
「いやだから」舞子は泣きそうになって首を振った。「そんな気ないですって」
「わしは──人類のためを思ってこの計画を進めているのだ」博士は真剣な眼差しで訴えた。
「来たわね、屁理屈が」優美がすかさず呟いた。「じゃあ、餅は餅屋ってことで──代わるわ」彼女はそういうと、部屋の片隅に鎮座していた急須に向かって指を弾き鳴らした。

 

 しゅッ。
 ぼん。

 

 白い煙が上がって、白衣の大石が現れた。
「な」築山はまたしても起った奇跡に瞬きを忘れ呆然と口を開けた。
「ああ、なるほど」舞子は納得して頷いた。「餅は餅屋、屁理屈は大石か」
「さて、どの辺が人類の為になるというのか、ご説明をいただきましょうか」大石は腕組みしてソファに深く腰掛け、訊ねた。舞子ももう一度腰を下ろした。
 博士は苦々しげな顔で大石を見た。
 大石の不遜な態度は、明らかに彼にとって不愉快であるらしかった。無理もない──舞子は理解して頷いた。
「そう──これは人類のためなのだ」博士はもう一度云い、それからふんぞり返って自分も腕組みをした。大石を打ち負かす気だ。「例えば今現に我々が生きているこの現在」床を指差す。「これが誰かによって過去をいじくられた結果の“歪んだ未来”じゃないなんて誰が断言できる?」
「そ、れは……」舞子は詰った。大石は答えなかった。
「こんな、わけのわからん犯罪に満ち溢れて汚れて、不幸な人間が充満してて、誰も彼もが心に常に寂しさを抱えて生きているような現代がだ、正しくあるべき姿だったと云えるか? 誰かがどっかで間違わせたとしか、思えんだろう。わしのしようとしていることはむしろ軌道修正なのだ。人類滅亡を回避する為のな」博士は一気呵成にまくしたてた。
「ああ、そうなんだ……」舞子はぼんやり呟いた。
「だからあなたがまたそうやって簡単に丸め込まれる」大石はかなり苛立たしげに、舞子に向かって人差し指をぶんぶん振った。「いいですか、そもそも人類の、民族の、文化の文明の“正しき在り方”というのが、なんでただ一個のわけのわからない老いぼれ爺いに決定されにゃならんのです」
「何だと、この若造が」博士は真っ赤になって怒った。「似非科学者の分際で生意気な」
「過去を変える必要があるというのならば、全人類に、いや生きとし生ける存在すべてに是非を問うべきでしょう。あなた一人の世界じゃないんだからここは」大石は構わず喝破した。
「そ、そうよ」舞子は取ってつけたようではあったが大石の言葉に賛意を示した。
「やかましい。貴様のその減らず口、タコ糸で縛って一昼夜煮込んでやる」築山はまさに激昂していた。同じ白衣を着る者、しかも自分より半世紀分ほども若い男に非難されるのが我慢ならないのだろう。
「こちらこそ、あなたのその浮き出たアクのような頭髪を網ですくって取り除いたっていいんですよ」大石は遠慮も会釈もなく禁断の秘所をついた。
「貴様」ついに博士は立ち上がってテーブルを回り込んで来、大石も立ち上がって二人は間近に対峙した。
「おっ、いいかも」舞子は上体を反らせ、指で四角を作ってその枠内に大石と博士を収めた。「マッドサイエンティスト同士のツーショット」
「同士ではない」
「同士ではありません」
「こんな奴と一括りにするでない」
「こんな人間と一括りにしないで下さい」
「なんか二人、ものすごい相性いいように見えますんですけど……」舞子は二人が揃ってがなり立てる声の下そっと呟いた。
「お前にこんな人間呼ばわりされる覚えはない」
「あなたにこんな奴呼ばわりされる覚えはもっとありませんね」
「ていうか二人」舞子は尚もぼそぼそ、聞こえないようにコメントした。「“マッドサイエンティスト”って部分には、怒らないのね」
「とにかくわしは譲らん」博士はもう一度腕を組みなおしてふんぞりかえった。「お前らが何を企もうと、わしは屈したりせんぞ」
「あなたが何を企もうと、我々も決して屈したりしませんよ」大石もまた眼鏡を光らせた。「舞子さまの偉大なるお力の前に、ご自分の非力を思い知るがいい」

 

 ハッ

 

という青い擬音がつきそうなほど愕然とした顔で、博士は舞子を見た。
「いや、あの」舞子はただ両手を振るだけだった。
 その時、ノックの音が響いた。
 ドアが開いて姿を現したのは、若くて背の高い男だった。やはり白衣を着ている。
「これは──ご来客中でしたか」男はそう云ったが、全然その顔は驚いていなかった──それはまるで、練熟の人形作家が腕によりをかけて描いたかのように美しく整った顔立ちだった。黒く澄んだ目はしかし、冷たく舞子に向けられている。
「うわ、すごい」舞子は思わず手を口に当てた。「大石くんと正吾さんの融合体みたい」
「あ?」男は神経質そうに形のよい眉をひそめた。
「い、いえ」舞子は慌てて首を振った。
 振り向くと、彼女のしもべはいつの間にか姿を消していた。ただ博士だけが、眉をしかめて瞳をきょときょとさせている。
「こちらのお嬢さんは?」入って来た男は博士を見て訊ねた。
「あ──」博士は言葉に詰まり、舞子を見、足許にあったはずの急須を見(しかしそれはそこになかった)、入って来た男を見た。
「あの、あたし今日からここで家事手伝いをさせていただくことになりました、春日舞子です」舞子の声がぺらぺらと喋った。
「え?」舞子本人が驚いて辺りを見回した。
 自分ではそんなことを云った覚えがないのだ。
「家事手伝い?」
 若い男は訊き返し、また舞子の声が
「はい、お料理とか、お掃除とか」と答えた。
「ほう」男は納得したようだった。「博士のお知り合いですか?」
「あっ」築山はぼんやりしていたが、ハッと我に返った。「ああ、姉の嫁ぎ先の兄弟の息子の娘さんでな、しばらく預かることになった」
「よろしくお願いします」そう自分の声がどこからか云ったかと思うと、舞子の体は呪縛に遭ったかのように丁寧にお辞儀をさせられた。
「ああ、私は瀬良、築山博士の助手をしている」男は名乗り「それじゃあ早速昼食の用意をしてくれると助かるな。空腹で死にそうだ」と、ほんの少し笑みを洩らした──がそれはすぐに消えた。
「あ」舞子は久しぶりに、自分自身の声帯で喋った。「じゃ、じゃあお台所をお借り、します……」
 なるほど作戦通りだ。
 彼女はしもべの働きに、心の中で感心した。

 

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葵マガジン 2020年06月27日号

  • 2020.06.27 Saturday
  • 11:56

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第6話 優美、凄む 後編(全40話)

 

 しかし急須が音を立てて吐き出したのは、優美だった。気抜けする舞子の目の前で彼女は室内をぐるりと見回した。
「ふむ──なるほど」そういった後、優美はくるりと振り向いて舞子の肩をつかんだ。「舞子、ワームホールへのプランク数的マイナスエネルギー注入による時空間ループ化及びレーザービーム照射による物体移送理論について、聞く気がある?」
「──」舞子は魚類が乗り物酔いで今にも吐きそうな時の顔になった。
「築山博士は今回その理論を、タイムワープに応用させることに成功した」いっぽう優美は、彼女の主人の「聞く気のあるなし」を度外視した。「それを可能にするテクノロジーを、彼は手にしたわけね」錯視テストのようなネイルアートをほどこされた人差し指が大気を切って、室内の片隅を指さした。
 そこには、建築現場や屋外イベント広場によく設置されている、簡易トイレが置いてあった。煙突もついている。
「あのトイレが?」舞子は大真面目に訊ねた。
「トイレじゃないわ。あれはタイムマシンよ」優美は答え、二人は何秒か沈黙した。
「――タイムマシン」舞子はそっと繰返した。
「ええ」優美は七センチヒールのパンプスをつかつかと鳴らして、そのトイレに近づいた。
 彼女が取っ手を引くと、ドアはばいん、と音を立て湾曲しながら引き開けられた。舞子にはなんだか、その行為がものすごく破廉恥で失礼なもののように見えて仕方なかった。
「この中に入ってある操作をすると、この装置の中にワームホールが生まれ回転運動を起こすの」
「へえ」舞子は近付いて中を覗くべきなのだろうか、と迷ったが、足は動こうとしなかった。気のせいか、鼻にツンと何かが臭うようでもあった。
「今はまだ、小さな物体を別の時空間に送り込み呼び戻すことしか成功していないようだけど──築山博士はもう少しで、ヒトひとり分くらいのスペースにまでワームホールを広げる技術をも開発するはずだわ。そしてそれが完成すればもはや非の打ちどころのない、完璧なタイムワープが可能になってしまう。以上、理解できたかしら?」説明はようやく終結したようだった。
「吐きそう」舞子は答えた。
「ちなみにこの話」優美はふうと息をつきながらうなじに手を差し入れ、長い髪をバサリとかきあげた。「たくぴーがすごく説明したがってたけど、時間短縮を図りたいので今回は譲ってもらったの」
「たくぴー?」
「大石くんよ」優美はいったが、舞子が目をまるく剥く間にすかさず彼女の口に人差し指を当てた。「でもこの名前では絶対彼を呼ばないでね」ベネチアの聖堂のフレスコ画のごとく精緻に描かれた眉をぐいっと寄せて警告する。「少なくとも今は――時間がないんだから」

 

 応接室に戻ると、築山博士はちゃんと座って口を開きつづけていた。
 舞子と優美は彼の向かい側に腰をおろし、優美は派手な彩りの爪を頂いた五指で自分の顔の前の空気をすっと撫でた。
「あー、それで」博士は突然ディズニー映画に出てくるげっ歯類キャラクターのような声で喋りだしたが、次に優美に目を貼りつかせて再び時がとまったかのように絶句した。
「んもう」優美はため息をついた。「ひろみちゃんたら、いっつもやりっ放しなんだから」そうして人差し指を博士に向けて振る。
「きき、君は?」博士の声は元に戻り、彼は優美を指差して激しく動揺した。
 無理もない──たった今までそこに座っていた辮髪(べんぱつ)のプロレスラーが、突然外国のモデルのような女に変わったのだ。
「あたしは森川優美よ」優美はかまわずウィンクして答えた。「よろしくね、築山博士」
「そ……あ……」博士は心に思うことをうまく伝えられないようだった。
「あの、博士」舞子は切り出した。「タイムワープを、やめていただきたいんです」
「──」博士は舞子をじっと見た。この高校生の正体を見極めようとしているらしかった。だが結局彼は正しい解を見出せなかった。「君は、なぜそれを知っているのだね? ええと」
「春日舞子です」舞子は再び自己紹介した。
「春日くん」博士はその名を呼んだが、まるでそれを呼ぶことによって舞子を封じようと謀ってでもいるかのようだった。
「えと」舞子はちらりと優美を見た。
「宇宙秩序管理省のタイムワープ防止部からお達しがきたのよ」優美はあからさまに事実を述べた、だがそれ以上にくだらない法螺はこの世に存在しないように舞子には聞えた。
「くだらん法螺を吹くな」偶然にも博士もまた同じように聞えたらしく、彼は唾棄するように答えた。
「まあ、あなた方の物理観レベルでそれを信じろってのはムリだろうから、法螺ってことでいいわ」優美はにっこりと微笑みながら、世界的権威といわれる物理学者のプライドを激しく見下した。「だけどあなたが今やろうとしてる事って、とても危険なことなのよ」
「危険?」博士は目を細めた。「何が、どういう風にだ?」
「さっき、舞子の目の前をピンポン球がものすごい速さで通り過ぎていったわ」
「あ」舞子ははっとした。先ほどの、庭先でのできごとだ。「そうそう、あれって──」
「あれは博士、あなたがタイムマシンを稼動して、数分後の時空間にループ移送したもの──そうよね?」優美は物理学者をじっと見つめた。
「──」博士は口を一センチ開けてまた黙った。「ああ──成功、したのだな」やがて彼は、静かなる感動の波に包み込まれていった。「いや──成功したのはわかっていたが、おお」彼は自分の額に手をあてがい、笑みをもらした。「そうか、現れたか、あのピンポン球が──やった」ガッツポーズをとる。
「冗談じゃないわ!」優美は声を高めた。博士と舞子は、びくりと身をすくめた。「舞子がもう一歩先を歩いてたら、この子の体の中を時空間ループが貫くかたちになって、この子の体は引き裂かれるところだったのよ」
「はああ!?」舞子はソファの上で飛び上がった。「何それ!?」
「あなたは確かに他の時空間へ物や人を運ぶ方法を見つけることには成功した、だけど他の時空間の“どこへ”それを移送すればいいかその正確なマップを手にしてはいないし、そのコントロール技術も確立させてはいないわ」優美は長い睫毛で相手を刺し貫かんばかりに視線を固めて睨みつけた。「いわば子供が初めて手にしたラジコンに浮かれてがっつんごっつん壁や人にぶつけるのと一緒よ」
「──」博士は表情をゆがめた。舞子は一瞬、この老人が「うええん」と泣き出すのではないかと思った。だがさすがに彼は老練の物理学者だった。「君のいう通りだ」彼はそのそしりを素直に受け止めた。
「世界秩序管理省では、タイムワープを含む“時間順序保存の法則”に反する行為を固く禁じているわ。ここ以外の時空で、それを許したばかりに人類の半数が絶滅したところがあるのよ。彼らは本時空にその惨状が起こるのを防ぐため、その開発そのものを防ごうと努めているの」
「人類の、半数が!?」舞子と築山博士は声をそろえて叫んだ。
「そうよ。無作為に無秩序に無鉄砲に、人々がタイムワープを繰り返して、現れた先の座標上に存在していた物体を“ひき殺して”いく、そんな現象が止めどもなく繰り返された結果よ」
「──」博士は押し黙った。
 舞子は内心、これで依頼された仕事は終わったと思っていた。
 簡単なことだった。
 想像していたほどてこずったりしなかった。
 帰って、文庫本の続きを読もう──
「申し訳ないが」博士は視線を落としたまま呟くように返事をした。「帰っていただけるかな」
「じゃあ、もうやめてくださるんですね?」舞子は立ち上がりながら確認した。
「それはできない」博士は舞子を見て断言した。
「えー?」舞子は眉を寄せて不満の声を洩らした。「なんで」その時の彼女にその男が世界的物理学者であるという意識はなく、ただの頑固な爺さんとしてしかその目には映らなかった。頭をはたいていう事を聞かせようかとよっぽど思ったほどだった。
「それじゃあ、帰るわけにはいかないわ」優美はソファに腰掛けたまま、組んだ脚の膝を抱えた。
「えー?」舞子はさらに不満の声を高めた。
「帰らないと警察を呼ぶぞ」
「あたしたちが何者かお解りではなくて?」
 優美の眼差しに博士ははっとした。「く……」
「あたしは森川優美」優美はもう一度自己紹介をし、傍に立っている舞子を鼻先で示した。「こちらにおわします舞子さまにお仕えする、しもべの魔法使いよ」

 

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葵マガジン 2020年06月20日号

  • 2020.06.20 Saturday
  • 10:16

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第5話 優美、凄む 前編(全40話)

 

 博士は、彼のタイムマシンの最終チェックを行っていた。
 慎重に出力調節レバーを移動させていく。
 マイナスエネルギーが次第に蓄積されていくのが、ディスプレイ上に示された。
 彼の目の前には透明な材質でできた径数十センチほどの円柱があり、その中は白い光線が乱舞していて、真中にぽっかりと黒い球体が浮かんでいた。
 やがて彼はゆっくりとレバーから手を離し、慎重に、緑色のボタンを押下した。
 すると円柱の中に向けて突き出たパイプからオレンジ色のピンポン球が飛び出し──黒い球体の中に真っ直ぐ飛び込んで、消えた。
 博士はもちろんそれだけで満足などしなかった。
 彼は腕時計を見つめ、息を殺してじっと待った。
 二分後、突然その黒い球体から先ほどのピンポン球が飛び出し、円柱の内壁にこつんと当たって落ちた。
 博士は初めて大きく息をつき、力を抜いた。「よし」力強くうなずく。
“箱”──彼自身はその装置をそう呼んだ──の扉を開け外に出ると、そこには背の高い、若い男が腕を組んで立っていた。
 博士は一瞬はっと身をすくめたが、すぐにその男のそばを通り抜けようとした。
「時空間のループ化には成功したんですね?」男は横目で博士の背を睨み、たずねた。
「ああ」博士は短く答えた。「あとはホールの拡大化がうまくいけば──完成だ」
 ふん、と男は鼻で笑った。「なるべく急いだ方がいいと思いますよ。さもないと──」
 博士は青ざめて振り向いた。「陽(ひなた)には手を出すな。すぐにタイムワープはできるようになる」
「もちろん、約束は守りますよ」男はつめたい微笑みで答えた。「“あなたが”約束を守るならば、ね」

 

          ◇◆◇

 

 しばらく飛ぶと、人里離れた山の上空へ出た。
「まさかまた、こんなとこで夜まで一人で張り込めとかいうんじゃないでしょうね」舞子は木多丘の肩の上に座った状態で、着地を拒否するかのように足を自分の体に引き寄せた。
「一人じゃないでしょ、俺らがついてるのに」木多丘は飛びながら不満げな顔でちらりと舞子を見た。「それにしても──どこにするべかなあ」
「何が?」
「着地場所」木多丘は答えた。「今回着地する場所選びには、結構慎重を要するのよ──下手すると、天狗にされちまうからな」
「天狗?」舞子は声を裏返して訊き返した。
「うん。ここの山、天狗が昔住んでたっていわくつきの山なんだぜ」木多丘は飛びながら、舞子を抱えていない方の手でぐるりと辺りを示した。「つまり俺のことだよ。俺も昔は限度を知らなかったからな――天狗様、とか呼ばれていい気になって、侍が弟子にして下さいとか云いに来て、いろいろ稽古つけてやったりしたもんだ」懐かしそうに目を細める。
「嘘ばっかり」舞子は意地悪げな声で否定した。
「本当だって。ヨシツネ、とか云ってたかな?」
「義経? 源の?」
「知り合いかよ」
「いや知り合いじゃないけど」舞子は慌てて手を振る。
「しかし思うに、なんで皆“妖怪だ”って思うのかねえ」木多丘は飛びながら嘆息した。「神様とか宇宙人とか未来人とか、魔法使いだとかって思わないでさ。なんで俺が天狗にならにゃならんわけ?」
「うーん、ヘアスタイルかなあ?」舞子は木多丘の辮髪をもてあそびながら呟いた。
 やがて木多丘は空中で立ち止まり、足元から降下し始めた。
 二人は生い茂る杉や檜の間に着地した。
 その鬱蒼たる森のすぐ隣に、いきなり出現したかのように研究施設は建っていた。
 一見すると、目医者か歯医者の建物のようだ。
 しかし周囲には白壁の塀が巡らせてあり、門は格子戸、そこから飛び石が敷いてあって、行き着く先には老舗の温泉旅館かと思わせるような風情溢れる玄関が構えてある。
 建物の外観によく似合う、とは、十人中十人が云いそうになかった。
「なに、ここ」舞子は思わず呟いた。
「だから、築山んちだって」そう答えながら木多丘もまた、八の字眉毛を心持ち逆立て枯山水の世界をかもし出している庭を見回す。「妙なとこだなまた」
「とにかく、行こう」舞子が敷石の上を一歩進んだとき、その目の前をオレンジ色の物体が素早く横切った。
「え?」舞子はびっくりして立ち止まった。「なに、今の?」
「ピンポン球だ」木多丘が背後で答えた。「いきなり現れた」
「ピンポン球?」舞子は振り向いて唸るように訊き返した。「なんでピンポン球がこんなとこに?」
「うーん」木多丘は腕を組んだ。「先生坊主の説明でも聞くか?」
「え、大石くんの?」舞子の眉間はぴくりと寄った。「いや、いい。急がないと」
 玄関の方に向き直った舞子の目の前に、突然生えたかのように男が出現していた。
「わあっ」舞子は叫んで後ずさりした。
「何かご用かな?」背の低い、年の頃七十代ぐらいのその男は、ほぼ白髪ばかりとなった僅かな頭髪を持ち、ぽっこりと突き出たお腹を白衣で覆い隠していた。
 この人が“博士”に間違いないと、舞子は瞬時にみてとった。
「あの、築山博士という方にお話が」舞子は裏返った声で用件を伝えた。
「君」男は不愉快そうに白くて長い眉毛をしかめた。「まず自分の名を名乗りたまえ。無礼にもほどがあるぞ」じろじろと舞子を、上から下まで検分するかのように眺め渡す。
 舞子はオフホワイトのカットソーにブーツカットジーンズという“部屋着”のままで──よく考えたら靴も履いていない。
 冷や汗が彼女から一気に放出された。
 ふん、と鼻を鳴らして、男は舞子らに背を向け歩き出した。
「あ、あの」しかし舞子も、引っ込みがつかなかった。「タイムワープのことで」
 男は立ち止まった。
 数秒の時が流れた。
 突然男は振り向いたかと思うと舞子に向かって突進してきた。「きさま」腕が伸びる。
 舞子は強く目を閉じた。
 てっきり胸倉をつかまれるか、首をしめられるか、鼻面を殴られるのだろうと思ったが、実際のところ男は彼女に触れることさえできなかった。
 なぜなら木多丘に襟首をつかまれ、空中に持ち上げられていたからだ。
 舞子が震える吐息を洩らす前で、木多丘は空いている方の手の人差し指を男の鼻先に振り下ろした。
「何者だ、きさま」とたんに男の声が、ヘリウムガスを吸ったネズミかなにかのような、か細くて甲高いものに変わった。「うわ、何だこの声は」自分の喉を押さえる。
「いや、騒ぎ立てられるとちょっとあれだしね」木多丘は平然と答えた。
「す、すいません、あのあたしは春日舞子といいます」舞子は空中にぶら下がる男を見上げて自己紹介をした。「あなたは、築山博士──ですよね?」
「──」男は舞子を見もせず、返事もしなかった。
「おい」木多丘が彼を、祭りですくう水入りヨーヨーのように上下に振った。「刻んでだしで煮込むぞこら」今度は左右に振る。
「あわわわわ」男のか細い声はがくがくと揺らぎ、まことに哀れを催した。
「や、やめなよひろみちゃん」舞子は思わずしもべを制した。
「い、いかにもわしは築山仙造だ」男はやっと正体を明かした。「あー」辺りをきょろきょろと見回す。だが広大な敷地の中には、人っ子一人見当たらなかった。「な、中で話そう」
「妙な真似しなさんなよ、博士」木多丘は博士を地に置いた。「こちらの舞子さまを軽んじれば、汝の身に災いの降りかからん」
「──」築山博士は改めて舞子を見た。明らかに、いまだ科学で解明されない超常現象を目の当たりにしたような、いい換えれば化け物を見るような目つきだった。

 

          ◇◆◇

 

「こっちへ」応接室に二人を案内した築山はテーブルを挟んだ向こうのソファに腰を下ろし、膝の上に両肘を乗せて口を開いて──止まった。
「?」舞子はしばらく博士の顔を見つめて待った。
が、博士は唇を一センチばかり開いたまま、完全に停止していた。
「時間粒子を止めたからね」木多丘が云い、立ち上がった。
「え」舞子は目を剥いて魔法使いを見上げた。「時間を止めたの!?  そんなことができるの!?」
「コツさえつかめば、簡単なのよ」木多丘は勝手に隣室へのドアを開け、ずかずかと入っていった。
「ちょっとちょっと」舞子は慌てて後を追った。「それじゃあ、ひろみちゃん達なら、タイムワープとかもできちゃうってこと?」
「まあねえ」木多丘はさらに奥の部屋へと進む。「でもいっとくけどその“力”は今回の仕事には使えないわけだからね」
「なんでよお」舞子は駄々をこねた。「魔法でやりゃえらい簡単げじゃん。過去にバーッと行って、あのおじさんをどうにかすりゃあいいんでしょ」
「あれ、先生坊主の話、聞かなかったか?」木多丘は舞子に振り向いた。「もっかい聞くか? 魔法が使えないわけ」
「──いや、いい」舞子は眉をひそめた。
「おう、ここみたいだな」木多丘はその部屋でようやく立ち止まった。
 大石の出したホログラムで見た通りの部屋が、現実のものとしてそこに存在していた。
 築山博士の研究室だ。
「さてと、そんじゃ俺の仕事はここまでだな」木多丘は両手を上に上げて伸びをした。「お疲れさーん」
「また大石が来るわけね」舞子は試合前の格闘家のように眼を光らせた。

 

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葵マガジン 2020年06月13日号

  • 2020.06.13 Saturday
  • 10:31

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第4話 大石、説明する 後編(全40話)

 

「そんな人ですから、科学者としては健全に存在していてもらわなければならない――しかし、タイムワープに関する記憶だけを表面上消去したとしても、彼ほどに大脳を駆使する人間の場合、それは無駄骨になってしまう可能性が高い」
「どうして?」
「人間の脳」大石はそう云い、ホログラムに手をかざした。小汚い研究室が、突然ヒトの頭部になった――それはこちらを向いていたが、その眉から上は皮膚と骨を削がされ、脳みそ丸出しになっていた。
「うげッ」舞子は唸って後退りした。
「その機能はいまだすべてを解明されたわけではありませんが、まったくもって素晴らしい、精巧で繊細な器官です」大石は首を振る。
「きもっ」舞子は魚類の口で云った。
「もしかしたらその真価を発揮された日には、我々の魔法などとても太刀打ちできないのではないかとさえ思われる」
「そういや中国料理で猿の脳みそ食べるってのがあるんだよね。すごいよね、よく食べれるよね脳みそってちょっと」
「人の話を聞いてるんですか?」大石は、眉間に箸を挟めそうなほどに皺を寄せて舞子を睨んだ。舞子は大人しくなった。
「人間の脳は」大石は物云わぬ脳みそ丸出し男の生首を手で示しながら、改めて説明を続けた。「覚醒時、膨大な数の情報を大脳に蓄積します。それは大脳の各部位にアットランダムに散らばって保存されます。そして睡眠時、大脳はデフラグを行います」
「デフラグ?」
「記憶の断片たちを整理するのです。重複するもの、不必要なものを削除していく――その時、それに関する他の記憶が、呼び覚まされてしまうという現象が起こるのです」
「ふうん」舞子は顎を掻いた。
「それは俗に“夢”と呼ばれています」
「夢?」手が止まる。
「つまり」大石は再度、脳みそ男の方を振り向いた。手をかざすと脳みそ男はゆっくりと頷き始め、頭頂を――というか脳頂をこちらによく見えるようにしようとした。
「あわかった、この博士がタイムワープのことを夢に見て思い出してまたやらかすかも知れないってわけね」舞子は男の動きが完全に止まる前に云い当てた。
 大石は後ろ向きのまま、舌打ちした。
「何よその態度。むかつく」
「まあつまりそういうわけで」大石はくるっと振り返った。「博士にタイムワープをやめさせる為記憶を消すとしたら、彼の物理学に関する記憶をもつニューロンすべてを根こそぎ取るしか方法はなく、それはこの世界において大変な損失になってしまう、それは出来ない、だからタイムワープ防止部は動けずにいるのです」一気に結論を話す。その間脳みそ男は、脳と眉と鼻だけの姿で宙に浮いていた。
「じゃあ、どうすればいいの?」舞子は質問した。
「物理的な方法でだめな場合は妖術しかないでしょう」大石はひょいと肩をすくめた。
「ゲームじゃないんだから」舞子は眉をしかめ顔をそむけた。
 大石は舞子を凝視し、舞子ははたと真顔に戻った。「あ……そうかあんたらか」
「違います」大石は眼鏡を白く光らせ舞子を指で差した。「あんたです」
「あたしがなんで妖術よ」舞子は目を剥いた。
「私らが使えるのは魔法だけだ。しかし今回においては魔法ですらタイムワープを差し止めることはかなわない。つまり彼、築山仙造その人自身が心から“こんなことはやめよう”と思えるようにさせなければならないのです――あなたの“洗脳”でね」
「せんのう?」舞子は訊き返した。
「そう、今回あなたは新興宗教よろしく正しき人の在り方を彼に説いて説き伏せて、タイムワープがいかに馬鹿げていてしかも大それた犯罪であるかをとくとわからせなければならない。壷や印鑑を売る催眠商法よろしく洗脳するんです。おお、まさに妖術。恐ろしい」大石は手で顔を覆い天井を振り仰いだ。
「えーっ、あたしがあ?」舞子はびっくりして自分を指差した。「そんなこと、できるわけないよ」
「ひとつ作戦を提案いたしましょう」大石は顔を正面に戻し、それから思い出したようにずっと宙に浮いたままの脳みそ男を片手の一振りで消した。
「ほんと? どんなの?」
「料理です」
「はい?」
「あなたの手料理で、彼をほろっとさせ改心させるのです。人間って素晴らしい、とか思わせて」
「まっさか」舞子は鼻に皺を寄せてケケケッと笑った。「そんなんで引っ掛る奴いないっしょ」
「まあ、無理かな」大石は珍しく、反駁してこなかった。「あんな、焦げ魚じゃあね」
「やるわ」舞子は顔を斜めに傾けて大石に詰め寄った。「やってやりゃいいんでしょ。あたしの料理で。本気でやりゃあたしだってね」

 

 とん、とん。

 

 その時、舞子の部屋のドアをノックする音がした。
 舞子はハッとしたが、大石の姿はあっという間に消え失せていた。
「はい?」返事する。
「開けていいか?」父親だ。
「――いいよ」舞子は、どういうものか身構える自分を感じた。
 父親はかちゃりとドアを開け部屋に入って来た。
「お前、買い物行かないのか」そう訊く声は、どういうものか上司に向かって恐縮している部下のようだった。
「うん。留守番しとく」舞子は、たまたま机の上に広げていた参考書から目を離すことなく返事した。
「そか。昼飯、外で食べようと思ってんだけど」
「いいよ。あたし適当に食べるし」
「そか」父親の声は、なんだか段々小さくしぼんでいくようだった。「何か、買ってきて欲しい物とか、ないか?」
「んー」舞子は少し目を上げた――といっても、父親を真正面から見つめるところまではいかなかったが――「いや、いいよ」
「服とか、鞄とかは?」父親はそう云ってから「鞄って、云わないか」と自分で突っ込みを入れ声の無い笑いを洩らした。
「いいよ」舞子も鼻だけで笑った。もちろん買ってもらいたい物を挙げればきりがないほどだが、説明しても理解できないだろうし、説明したそのままの物を彼が探し当てられるとも考えられないからだ。
「そか」父親は、ドアの向こうに沈み始めた。「あ」突然再浮上する。「昨日のおかずなあ――うまかったよ」
「ふふ」舞子はまた鼻で笑い、ほんの一瞬だけ父親を見た。
 そして父親はそっと夕日の如く去っていった。
 ぼん、と音がし、再び大石が出現した。「またあなたが、相変らず七里結界を張る」出て来るなり、彼はコメントした。
「は? しちりけっかい……て、何?」
「魔物が入って来ないよう修行中の仏僧が張る結界ですよ。あなたは彼を、魔障と見なしているんです」
「あのねだからそういう人の心の中を全部見通してるみたいな知ったかぶりな口きくの」舞子はそこまでをノーブレスで一気に云い、それから「やめろって言ってんのよ!」と吠えた。

 

 しゅッ。
 ぼん。

 

 たちまち大石に代って木多丘が現れた。
「ふん」舞子は鼻から火炎のように鼻息を噴いた。「負けそうになるとすぐ逃げる」
「で」木多丘は別世界の人間であるかのようにのんびりと話をミッションに戻した。「取り敢えず築山んちへ行けってか?」
「え、もう?」舞子は目を丸くした。「でも、行ってどうするの?」急に不安感が心を苛(さいな)む。
「さっき云ってたじゃん、料理作って食わせて改心させるって」木多丘は舞子の前に前腕を差し出す。「ほれ、乗って」
「でで、でも」舞子は躊躇した。「ホントにやるわけ? 料理とかで」
「自分がやるって云ってたんじゃねえかよ」木多丘は口を尖らせた。
「でもだって」
「お前ものの見事に乗せられるのよな、相変らず」木多丘は笑いを堪えながら舞子の襟首をひょいとつまみ上げ肩に載せると、ふっと窓に息を吹きかけてそれを開けするりと飛び出した。

 

◇◆◇◆次号へ◆◇◆◇

 

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葵マガジン 2020年06月06日号

  • 2020.06.06 Saturday
  • 10:36

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第3話 大石、説明する 前編(全40話)

 

 夢の中で舞子は大根を切っていた。
そうしながら、誰かに向かって一生懸命、話をしているのだ。

 

 私は、楽しいことが好き。
でも悲しいことも、苦しいことも、受け入れる準備は出来ている。
私は、この世に起こるすべての事象を、愛する――

 

 話を聞く相手は、父のようであり、母のようでもあり、はたまた大石のようでも、正吾のようでもあった。

 

 この世に起こる、すべての事象を――

 

 ぐらぐらぐら。
鍋で何かが煮えている。

 

 これが、すべての事象。

 

 舞子はそれを指差して、相手に教えているのだ。

 

 おいしそうでしょ。

 

 そうして彼女は微笑み、相手も、深く、慈しみ深く、舞子に微笑みかける――

 

          ◇◆◇

 

 早朝の光の中、大きな翼を背から生やした白い衣の天使がベッドの傍に立っていた。
舞子はそれを約十秒間見つめ、それから跳ね起きた。覚醒はたちまちのうちにやって来た。
「やあ」天使は微笑んだ。「味噌汁の匂いがよく似合う朝だね」
「――あの――」舞子は天使を指さした。「正吾さんの、従兄弟か何んか?」
「ん? 誰それ?」天使はふっと微笑みを解き真面目に訊き返してきた。
「あ、いや、すいません」舞子は指を引っ込めた。
「ぼくはマルエル」天使は自己紹介を始めた。「宇宙秩序管理省時間順序保護局タイムワープ防止部捜査二課から来たんだ」
「えっと」舞子は手を挙げて相手を制し、きょろきょろと急須を探した。こういう奴の相手は“あの者たち”に任せた方がいい。その方がお互いに“通じる”だろう。
自分がもはや「並大抵のこと」では驚愕したり顔面蒼白になったり叫び声を挙げたりしなくなっていることに、舞子はそれほど気づいていなかった。
急須はベッドの枕の傍に存在していた。舞子は両手で持ち上げ、こくりこくりと二回頷いた。

 

 ぼん。

 

 白い煙と共に出て来たのは、優美だった。
「おはよ、舞子」そう云うなり、いきなり舞子の頭をがっしりとつかんで彼女の頭に派手なキスをする。舞子はめまいを感じた。
「やあ――これはこれは」マルエルと名乗った天使は、びっくりして目を丸くした。「噂には聞いたことがあるけれど、まさかこんなところでお目にかかれるとは思いませんでしたよ。“螺旋の彼方に打ち捨てられし宇宙の夢”さん」
「それは、三百六十八人前のご主人のときの呼び名よ」優美はにやっと笑って天使にウインクした。「いまは“急須”っていうの」
「えー?」マルエルはげらげら笑った。「そりゃまたずい分芸のない、夢も希望もない、地味で渋くて短い名前ですねえ」
「悪かったっつうのよ」舞子は優美の影でこっそりと毒づいた。
「それであなたは一体、何をしに現れたの?」優美が訊ねる。
「はい、実は」天使マルエルは話し始めた。「時空監視課の方から連絡が入りまして――当時空内のとある座標に、アラームが点灯したと」
「アラームって?」優美がさらに訊く。
「つまりその座標において、規定値以上の反重力操作を施された恐れがある、ということです」
「反重力操作――なるほど」優美は頷いた。「つまりここ以外のいずれかの時空に移動しようと企む何者かがいるってことね」
「そうなんです」マルエルは瞼を伏せ、溜息をつきながら頷いた。
舞子も頷いた。それは、やっぱり魔法使いに話を聞かせて正解だった、という満足からのものだった。二人の会話の意味など無論わかりゃしない。
「で――その犯罪を、未然に防いでほしいというわけね」
「はい」
舞子もまた頷いた。
「つまりこの、舞子に」
「ええ」
そこに至って舞子は停止した。
「なるほど」優美は前腕の筋肉をたくましく盛り上げて腕組みしながら納得した。
「何が?」舞子は大声で訊ねた。「またあたし? なんであたしに云うの?」
「今回の仕事、ぼくたちには手が出せないんだ――いろいろと事情があってね」マルエルは申し訳なさそうに首を振った。「それで、犯罪者と同じ時空間上に存在する君に、仕事を依頼したいんだ」
「だから、なんであたしなの?」舞子は自分を指さした。
「あれ、だって君は」マルエルは少し意外そうに、舞子を見つめ返した。「グレート・スピリッツの先祖だろう?」
「――それ何?」舞子は用心深く訊いた。
マルエルは軽く肩をすくめた。「我々さ」
「すてき」優美が感動した。「舞子、あんたの染色体には天使の素が入ってんのね」
「――」舞子は黙って首を振った。ふざけた話だ。「それってきっと、何かの間違いよ」
「あれ」マルエルは口に指を当てた。「間違いかな? でも、もう時間がないんだ。この際君でいいから、よろしく頼むよ」
「――どういう」
「それじゃあ」天使はしゅッ、と擦過音を残して消えた。
「頼み方よその言い草!」舞子は怒声を発したが、もうそれを聞く者はいなかった。
「ふむ」優美は、自分のすみかである急須を振り向いてうなずいた。「あの天使、くわしい状況のデータを残していったわ。少し解析してくるから、待っててちょうだい」しゅッ、と彼女もまた消えた。
舞子はベッドにひとり残され、そこで初めて人間らしい日曜の朝を迎えた。

 

          ◇◆◇

 

 朝食は、昨日の煮物の残りだった。
にもかかわらず、父親はなにも文句を云わずにいた。
それが、よっぽどその味を気に入ったからか、娘の作ったものだからか、あるいは昨日それを食べたという記憶が欠如しているからなのか、舞子には判断がつきかねた。
「舞子あんた今日、なんか予定あるの?」母親が訊く。
「べつ」にー、と答えかけて、舞子は止まった。
「何、なんかあるの?」母親はせっかちに答えを促す。
ああ、もしかしたら天使の頼みで魔法使いと一緒に何かの犯罪を食い止めにいかないといけなくなるかも知れないけど、なんで?
どこかよその時空では、普通にそう答えている自分が存在しているのかも知れなかった。
しかし今生の舞子にとてもそれを云う勇気はわかず「試験勉強」とむっつり答えるのみだった。母親は、そう、じゃあ買い物は父さんと行くことにするわ等と云い、舞子は内心ほっとした。人込みの中に出るのは、どうも疲れるので嫌なのだ。

 

          ◇◆◇

 

 食後のコーヒーを入れたマグカップを片手に部屋に戻ると、白衣を着た大石がすでに現れ出ていた。
「解析、すんだの?」舞子はマグカップを机の上に置き、椅子に座った。「なるべく手短にわかりやすく云ってね」
「平仮名と、カタカナでね」大石はふいっと横を向いて長い溜息を吐いた。
舞子がその胸倉をつかもうとする寸前、彼女の目の前に彼は立体映像を現出させた。
それは、どこか病院の事務室かと思わせる、部屋の中の光景だった。
白っぽい壁と天井。事務机が壁際に並んでいる。スチール製のロッカーや棚。シンプルな丸型の壁時計。三台のパソコン。なにより印象に残るのは、いたるところに書類が散乱しているという点だった。
「ここ、どこ?」舞子は訊いた。
「築山仙造という人物の自宅です」
「つきやませんぞう? 誰? それ」
「タイムワープを実行しようと企む物理学博士――つまり“犯人”です」
「へえー」舞子は感心して映像をまじまじと眺めた。「でも、それがわかってんならさっさとあの天使の人に、捕まえてもらえばいいじゃん?」
「彼らは今の段階では動けません。なぜなら彼らが“動く”ということは」大石はくいっと首を傾けて、築山家の映像を頭で指した。「この科学者築山仙造の存在を、事実上抹殺してしまうことになるからです」
「まっさつ――こ、殺しちゃうの!?」舞子はぞっとして叫んだ。
「物理的に殺すわけではありません。論理的には、彼の脳内の記憶を一部抹消すればいい――時流遡行に関する理論を組み立てた部分をね」大石は自分の頭を指でつつきながら説明した。「しかし、彼のその理論は、それだけで独立して成り立っているわけではない。彼のそもそもの研究領域である素粒子物理学に関するデータに根付いているのです。そしてこのデータそのものは大変重要であるとされている――彼個人にとってだけでなく、今や全世界規模において」
「へえ……有名な人なの?」
「ノーベル賞候補にも挙がったことのある人です」
「ええっ」舞子は目を丸くした。

 

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葵マガジン 2020年05月30日号

  • 2020.06.01 Monday
  • 00:37

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆多重人格の急須2 〜肉じゃがは時空を越えて〜◆◇◆◇


第2話 舞子、料理する 後編(全40話)

 

 フュ――……

 

 彼の唇の隙間から、風の笛の如き音を伴って吐息が洩らされた。
 舞子は口を開けたが、珍しく眉根を寄せてまで真剣に事を執り行おうとしている正吾に声をかけることは躊躇われた。

 

 フォ――……

 

 正吾は凡てのガスを排気し終えると、新鮮な空気を肺いっぱいに満たした。

 

 フュ――……

 

 そして再び細く排気し始める。

 

 ウゥゥゥゥ……

 

 そのような状態で数秒が経過した。
 アジの腹部に、すっと二センチほどの切れ込みが入った。
「包丁使いなさいよ包丁」舞子は予告なしに怒鳴り、正吾の両手はびくり、と、左右に五センチほど揺れた。
「やだなあ、脅かさないでよ舞ちゃん」彼は胸を抑えてさっと魚から身を離した。
「だってそんな効率悪いんなら魔法使う意味ないっしょ」舞子は片眉をしかめて情緒担当者にクレームをつけた。「なんでそんな時間かかる?」
「ぼくは刺激を感受していたんだ」正吾は、乱れた髪を片手でかき上げながら答えた。「それがぼくの役目だからね」
「刺激? 何の?」
「もちろん、アジのさ」正吾は目を細めた。「アジの知覚する温感、冷感、触感、痛感――そしてアジの視覚、聴覚、嗅覚」
「でもこのアジ、もう死んでるじゃん?」
「そのようだね」正吾は眉を愁いに曇らせた。「何も感じられなかった」
「あのさ」舞子は瞼を閉じ声を高めて告げた。「わりと急ぐの。魔法じゃないやり方でさばいてくれるかな? 手っ取り早く。視覚とか聴覚とか、今んとこ関係なしに」
「そんな、ぼくは魔法使いだよ」正吾は今こそ、心の本音を顔面上に曝け出した。色男台無しの図、というタイトル看板を打ち付けてやりたいほど嫌そうな顔だ。「魔法を使わずにさばくなんて、出来ないよ」
「もう」舞子はついに癇癪を起こした。「そんならいい。帰って」

 

 しゅッ。

 

 直ちに正吾は白い煙を残して消え去った。
「もう」舞子はぷりぷり怒りながら、たどたどしい手つきでアジをさばき始めた。「役立たず! 穀潰し! エセ魔法使い!」彼女の口からは罵詈雑言が次々と洩れ、そしてアジの可食部は次々と殺ぎ落とされていった。
 やっとさばき終わった魚をロースターに並べ点火した後で、舞子は米を研いでいないことに気づいた。
 慌てて米を計って洗うが、慣れていないのと焦りとで何十粒かを流してしまう。
「うー」彼女は唸りながらぎこちない手つきで炊飯器にセットした。
「さて……」
 それから彼女は椅子に腰掛け、野菜や鶏肉などの並んだ食卓の片隅で料理本を開いた。
「煮物……大根と、豚バラ肉のこってり煮……豚肉ないしなあ」
 今あるもので、自分にでも出来そうなメニューを探し、次々に頁をめくる。
 そんなことをしている内、突然異臭が鼻を突いた。
「あッ!」舞子は慌てて立ち上がり、急いでロースターを引き出した。煙と焦げくさい臭いが一気に立ち込めた。「うっわ」

 

 ぼん。

 

 その時舞子の背後で爆発音がし、急須から白煙が上がった。
「へ?」舞子はすっ頓狂な声を挙げた。
 煙の中から姿を現したのは大石で、姿を現すなり彼はロースターの中の物を指さして問うた。「その料理の名は何ですか」
「は?」舞子は眉をしかめた。「何って焼き魚よ。アジの塩焼きよ」
「いいえ」大石は眼鏡をきらめかせた。「違いますね。これは焦げ魚です。アジの塩焦げです」
「うっさいわねあんた」舞子は真っ赤になって怒鳴った。「何呼んでもないのに飛び出て来てんのよ」
「今この状況を放置するとあなたがパニック状態に陥り大変危険であると判断して出て来ました」大石は無表情のまま云った。
「え……助けに、来てくれたの?」舞子は胸に何か熱いものを感じた。いつもは喧嘩ばかりしているけれど、やはりこの魔法使いは自分のことを守ってくれる、心強い味方なのだ。「じゃ、大石君が一緒に料理してくれるのね?」思わず両手を胸の前に組み合わせる。
「ぼくは担当が違います」大石はくいっと顎を持ち上げ、小ばかにしたように舞子を見下ろした。「料理とは結局、熱を利用して有機物の分子を変成させる行為ですから――そう“物理力稼動”ということになりますね」
「ぶつ――」舞子は凍りついた。
「木多丘と変ります」そう云うなり大石はしゅッと消えた。
「ちょっと!」舞子が慌てて云うのと、急須が再び爆発音と煙を発するのと同時だった。
「ご機嫌麗しゅう、我が幸多きご主人様」真っ白い、フリル付きのエプロンを着用した木多丘が現れた。彼の巨体に合わせたエプロンは、二畳ほどもあるように思われた。
「うわ邪魔くさ!」舞子は反射的に叫んだ。木多丘が現れたことで台所の広さは一気に三分の二ほどに狭まったようだった。
「あっそういうこと云うのかよお前、人がせっかく手伝いに来てやったってのによ、つうかそもそも最初はそっちの方から呼んどいてだよ」木多丘は大層不満げに口を尖らせ文句を述べ立てた。
「うう、わかったわよじゃあ」舞子は仕方なく辺りを見回した。今は一刻も早く食事の支度をする方が大事だ。早くしないと、両親に木多丘の姿を見られてしまう。「この大根切って」
「かしこまりました」木多丘は胸に手を当て軽く会釈をした。
「あ、包丁はその流しの下の――」舞子がその場所を指差して木多丘を見ると、彼は何も器具を使わず手刀で、指示された大根を二センチ角のサイコロ状にほぼ一瞬の間に切り刻み終えていた。「――」舞子は流しの下を指したまま固まった。
「へっへー」木多丘は得意げに鼻の下を人差し指で擦る。「料理ってのもあれだな、やってみると結構楽しいかもな」
「あ、そう……」
「ここにあるもん、全部切るのか」木多丘はテーブルの上の食材に目をやった。
「あ、ええ、そうだけどあの」舞子が答えるが早いか、それらはすべて二センチ角に切り刻まれた。
「ははは」舞子は、声は笑えど笑えなかった。
「ちぇ、もう終っちまった」木多丘は不足げだった。「他にゃねえのか」
「き、切るのはもういいわ。次は煮物とお味噌汁を作るから、まずおだしを――」
「合点だ」木多丘は切った野菜たちを一番大きな鍋に、手をひらりと動かしただけですべて掻きこんだ。それからコンロの上にどんとそれを置き、その上で手をひらりと一回転させると鍋の中に、何やら茶色く色づいた液体が涌き起こり、更に彼が鍋底に向けて人差し指を振ると、ボウッと音がして鍋からはみ出るほどの炎が灯った。
「ちょっとちょっと」舞子はなすすべもなく立ち竦んでいた。「一体、何人分作る気?」
「四人分」木多丘は普通に答えた。「お前と、お前の両親と、俺のと」
「四人分? これがあ?」舞子は目を剥いて、早やぐらぐらと揺れ始めた大鍋を指さした。「四十人分はあるでしょうよ――って、何んでひろみちゃんまでが食べるわけ?」指を木多丘に向け直す。
「味見」木多丘は迷いもなく答える。
 魔法の力で稼動する鍋は、あっという間に野菜たちの“分子を変成”させた。
 台所内に煮物の甘辛い匂いが立ち込める。
「うわあ、けっこうおいしそう」舞子の頬は緩んだ。
「けっこう、て何だよ」文句を云う木多丘も、顔は嬉しそうである。
 その時、突如床の上の急須がかたかた……と震え出した。
「あれ」舞子は驚いてそれを見下ろした。
「信じらんねえ」木多丘は眉を八の字にして(元々そうだがそれを一層)叫んだ。「なんで食べるのは“制御”の役目なんだ? 誰が決めた?」
「え、そうなんだ」
 舞子がそう云うのと同時に木多丘は白い煙と化し、代りに派手なメイクを完全装備した優美が現れた。「ごはん、できたあ?」その手には茶碗と箸が持たれている。
「食事を“制御”しに来たのね」舞子は苦笑した。
「あらあ、これはちょっと、やり過ぎねー」優美は皿の上のアジをひょいとつまみ上げた。
「あう、ねえ優美さーん、魔法で何とかしてえ」舞子は両手を合わせて拝んだ。
「仕方ないわねえ」優美は軽く溜息をつくと、箸を持った方の手の人差し指でアジの真上に円を描いた。黒焦げだったアジは、ビデオの逆回しを見るが如く、通常“焼き魚”と呼ばれる状態に変わっていった。

 

          ◇◆◇

 

 そんなこんなで舞子のおさんどんは無事成功裏に終ったと云えた。帰って来た父親はまったく何も云わずに彼女の作った料理を食べた。ノークレーム、ノーリターン、アンドノープレイズ――舞子は内心肩を竦めた。この人、目の前に座ってるあたしが誰なのか、知ってんのかしら?
 母親は大分遅くに帰って来、舞子がちゃんと夕飯を作って皿まで洗ったと知ると、大層機嫌よく礼を云った。
 そのため舞子は少し好い気分で眠りに就くことができた。

 

◇◆◇◆次号へ◆◇◆◇

 

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