葵マガジン 2020年01月11日号

  • 2020.01.11 Saturday
  • 11:48

JUGEMテーマ:小説/詩

 

◇◆◇◆聡明鬼◆◇◆◇


第82話 呼声(全100話)

 

「糞どもめが」
「貴様ごときに言われる筋合いのものではないわ」
「己れ」
「八つ裂きにしてくれる」
「こちらの科白じゃ」
「死ね」
 口汚く罵り合う、怒鳴り声が聞こえる。
 どうして、そんなひどいことを言うのだろう――
 スンキは薄く眼を開けてみた。
 棘のたくさんついた、棍棒が見えた。
 それは黒い影絵で、棍棒は逞しい体つきの者が手に握っているのだった。
 逞しい、体つき――スンキの眼には、その者の頭の上に二本の角の影が見えた。
 鬼だ。
 鬼の影絵は、手に持った棍棒を眼にも止まらぬ速さで振り下ろした。
「ぎゃああああ」
 途端、耳を劈くような男の悲鳴が挙がった。
 はっと息を呑み、スンキは眼をはっきりと開けた。
 身を起こそうとする、しかし体が思うように動かせない。
 眼だけを悲鳴の聞こえた方に向ける。
 今まさに、棍棒を持った者とは別の者が、スンキの視界の片隅でばさりと大地に倒れ伏すところだった。
 棍棒を振り下ろした者――鬼は、その棍棒を頭上に高々と持ち上げ「うおおおお」と咆哮した。

 

 うおおおお

 

 それに答え、周りの見えないところからも雄叫びがいくつも上がる。
 鬼たちだ。
 鬼たちが、いるのだ。
 鬼たちが――
 人間を、棍棒で殴りつけているのだ。
「ぎゃあああ」
「ぐぁあああ」
「助けてええ」
 スンキが最初に思ったことは、逃げなければ、という事だった。
 自分のお腹の中には、赤子がいる。
 自分と子供を、無事な所まで自分で逃げさせなければ。
 立ち上がろうとした。
 だが足が動かない。
 声を出そうと思った。
 だがそれも出来ない。

 

 ――キオウ。

 

 その名が頭に浮かんだ瞬間、スンキはそれが誰の名であったのかさえも判らずにいた。

 

 スンキ。

 

 だがすぐ、そう呼び返す若い鬼の顔が脳裡に浮かんだのだ。
 そうだ。
 キオウ、キオウは夫だ。
 自分と、このお腹の子供の家族、夫であり父親だ。
 キオウ!
 涙が溢れた。
「キ」震える喉元から、嗚咽のような声が絞り出される。「オ、ウ」
「なんじゃ、起きたのか」野太い声が、上から降ってきた。
「――」スンキは涙に濡れた眸を、声の方へと向けた。
「心配はない」声の主は影絵のごとく黒い姿をしていたが、その眼だけはじろりとスンキを見下ろしていた。「儂らは天心地胆に隠れているから危害を被ることはない。ただ奴ら、鬼どもと人間どもが互いに殺しあっておるだけだ」
「――」スンキは返事もできず、その黒い者を見上げた。
 その者の頭にも、角が生えている――それもまた、黒くなっている。
「お前の夫が来るまでは、もうしばらく眠っていろ」声の主はそう言うと、スンキから眼を離し前方を見た。
 確かにスンキは、自分がすっかり疲弊してしまっていることを感じていた。
 体を動かしたわけでもないのに、疲れ切ってしまっているのだ。
 眼を閉じる。

 

 スンキ。

 

 最後に幻のごとくその顔と声が浮かんだ後、スンキの意識は再び深く沈みこんでいった。

 

          ◇◆◇

 

「龍駿」閻羅王はその名を今一度口にした。「奴はまだ、ここには来ないのか」
「今はまだ、陽世でやらなければならぬ事があるようです」リンケイは答えた。「それも恐らく、テンニに関わることには違いないのでしょうが」
「ふむ」閻羅王は生死簿を懐にしまい、襟を整えた。「陽世では少しずつ、均衡が崩れて来ておるようじゃな」
「均衡が」リンケイは繰り返した。「つまり、人間と鬼の間の」
「うむ」閻羅王は、頷いた。「今の陽世、共生ではなく寄生の様態にある」
「寄生?」リンケイは、訊いた。
「うむ」閻羅王は、頷いた。
「つまり人間と鬼とが、寄生の関係にあると、そういう事でござりまするか」
「そうじゃ」
「それは」リンケイは、地獄の王の炎のような眸をじっと見た。「どちらが、どちらに――寄生している、と」
「そうじゃのう」閻羅王はため息をつきながら天井に眼を向けた。「人間たちからすれば鬼が人間に、となろうし、鬼どもからすれば逆に、人間が鬼に、となろうの」
「ああ」リンケイは理解した。「なるほど、そういうことですな」
「寄生じゃ」閻羅王はもう一度、ため息をついた。「共生ではなく」
「そして今、互いが互いを排除せんと動き始めている――いや」リンケイは考えを述べたがそれを自ら遮った。
「うん?」閻羅王は陰陽師を見る。
「互いが、ではなく」リンケイも閻羅王を見る。「人間が、ですな。主に人間の方が今、自分たちに“寄生”する鬼どもを排除せんと、目論んでいる」
「うむ」閻羅王はまた頷く。「鬼どもの方は、高をくくっておる嫌いがなきにしもあらずじゃがな」
「特に何も考えてはいないのでしょうな」リンケイは思慮深げに腕組みをした。「鬼というものは得てしてそうですからな」
「手厳しい事を言う」閻羅王はいささか苦笑した。「確かに鬼には、人間であった頃ほどに物事を深く考えることはできぬようじゃ。まあ中には例外もおるがな」
「はい」リンケイはにこりと笑い頷く。「私の知るところではリューシュン、そしてキオウ」
「うむ」閻羅王も頷く。「そして……残念ながら打鬼棒の犠牲となってしもうたが、スルグーン」
「スルグーン……ああ、鬼差としてここにいたスルグーンですな」リンケイは納得した。「それは、私めも一度逢っておきたかったものですな。残念です」
「しかしあいつは自ら打鬼棒に向かってゆき、それでむざむざ打たれ消えたのだからな、それを思うとやはり、余り深く考える奴ではなかったのやも知れぬ」
「ああ」リンケイは肩を竦めた。「そうでしたか」
「じゃがあいつの話には大いに興味をそそられた」閻羅王は懐かしむように紅き眸を細めた。「儂に金銀の宝玉を持って来る土地爺の中にも、あれほどに面白き話をもたらす者は一足とおらなんだ」
 リンケイはただ微笑んだ。
 ――俺も、早くまた聞きたいところだ。
 微笑みながら、そう思う。
 ――今度会う時にはどんな面白い話を聞かせてくれる。聡明鬼、リューシュンよ。

 

          ◇◆◇

 

「山が見えてきた」
 伝えたのはリョーマ。
「山が見えてきたそうでやす」
 そしてそれをリューシュンに伝えたのはケイキョだった。
「見えたか」リューシュンはリョーマの背の上で上体を伸ばし、目を細めた。
「山?」リシが隣を飛ぶトハキの背の上から訊く。
「ああ」リューシュンは前方を見たまま答えた。「山だ。あそこにいる」
「――ムイ中毒の、男がか」
「ああ」リューシュンは答え、手元の甕を今一度見下ろし確かめた。「今はもう、鬼だがな」
「――そう、だったな」リシもその甕を見る。「しかし囚われた女だけを取り戻し、ムイは渡さずにおくとは、一体どのようにして――」
「簡単さ。まずは交換だ」リューシュンはリシを見た。「この甕を奴に渡し、スンキをこちらに帰してもらう」
「渡すのか」リシは眼を丸くする。「そして?」
「そしてその甕を叩き壊す」
「――」リシは言葉を失くした。
「ムイは粉になってるから、空中に散らばるだろ。そこをリョーマとフラの焔で黒焦げになるまで焼き尽くしつつ飛び散らせる。それだけだ」
「できるのか」リシは戦慄の声で訊いた。「そんなこと」
「まあ、大概大丈夫さ」リューシュンは肩を竦めた。「なんなら、お前の龍馬にも手伝わせてやるよ」
「――」リシはトハキの黒い首を見やったが、やはり答えの言葉を失くしていた。
「ただお前には、引っ込んでおいてもらった方が助かる」リューシュンは眉を持ち上げ続けた。
「何故だ」リシは驚き訊ねた。
「今教えただろ、どうやるのかを。そこに、お前の出る幕はないってこった」
「――」
「下手に手出しされると却って邪魔だ。手伝うならお前の龍馬だけにしろ」
「――く」リシには返す言葉もなかった。だが彼女はふと思いつき問うた。「しかし、それをし遂げた後も何かやらねばならぬのだろう。それは何なのだ」
「地獄へ行く」リューシュンはまた前を見たまま答えた。
「えっ」リシはまた眼を丸くした。「地獄?」
「いいのか、そんなに話してしまっても」キオウがフラの背の上から声をかける。
「いいさ」リューシュンは笑った。「教えないと、こいつ地獄の果てまで追いかけてきて質問攻めにしやがるからな」
「なんだと」リシは声を荒げた。
「まあそういうことだから、どっちにしてもお前に手伝える事はないってわけだ。着くぞ」
 リューシュンが言った時、三頭の龍馬の下には確かに山があり、その山腹には山賊たちの隠れ家が並んでいた。
 そしてそこでは今、山賊たちと多数の鬼どもとが、武器を手に争いを繰り広げていた。
「何やってんだ、こいつら」リューシュンは眉をしかめて呟き、
「この鬼ども、一体何処から来たんでやすか」ケイキョがリョーマの背の上で縮こまり、
「どこって、陰鎮鷲椶らだろうキイ」とスルグーンが呆然と答え、
「どうして今ここで鬼と人間が争ってるんだ」キオウが改めて事の経緯を問いかけた。「テンニはどこだ」
「キオウ様だ」
「キオウ様」
 山賊どもがフラの存在に気づき空を見上げ叫ぶ。
「この鬼どもが突然やって来て、山を明け渡せと言います」
「鬼どもを焼き尽くして下さい」
「山を?」キオウは呟いた。
「やかましい」
「人間どもめが」
「人間を恐れる儂らではないわ」
 鬼どももまた怒鳴り散らし、手当たり次第に人間を殴りつけ締め上げ、手折り握り潰していた。
 力に劣る人間たちは罠や落とし穴、弓矢や鉄筒という策略また道具で鬼どもに立ち向かう。
 鬼どもは網に吊るされまた穴に落とされ、その後矢だの銀玉だのを打ち込まれ煙と消されてゆく。
「すごい……」思わず口にしたのはリシだった。「この者たちは、どこでこんなに鬼と闘う術を身につけたのだ」
「無論、俺の手解きだ」答える声にリシがはっと顔を上げると、フラの背の上でキオウが眉をしかめ下を見下ろしていた。「だが――何故、今」
「無論、テンニの手解きさ」リューシュンがキオウに答える。「探そう」
「テンニ」キオウが大気を震わすほどの大声で叫ぶ。「どこにいる。出て来い」
「お前の欲しがっていたものを持って来てやったぞ」リューシュンも手に持つ甕を高く差し上げ叫ぶ。「これが何かわかるか。テンニ」
「スンキ」次にキオウは妻の名を叫ぶ。「スンキ。俺だ、キオウだ。スンキ」
「スンキ、というのはあの鬼の妻の名だな」リシが、近くに浮かぶスルグーンに訊く。
「ああキイ」スルグーンは猫の眼を陰陽師見習いに向ける。「そうだチイ」
「今は鬼だというが、まだ人間であった時に鬼の妻になったというのは……本当なのか」リシは訊いた。
「本当でやす」答えたのは、いつの間にかトハキの背に乗り移っていたケイキョだった――リョーマとフラが龍の首を立てたので、魔焔を吐く準備をし始めたと見て退避したのだ。
「何故」リシは鼬を見た。
「何故、って……」ケイキョは身をすくめ躊躇した。「そいつぁ」
「そいつは、何だ」
「――男と女の」ケイキョはぼそぼそと続けたが、それは陰陽師――リンケイの言葉の受け売りに過ぎなかった。
「男と女の、何だ」リシは誤魔化しを金輪際許さぬ構えだ。
「――」ケイキョは鼬の口の端を下げた。
 リンケイの口からはその先が聞けなかったのだ、リューシュンが遮ったがために。
「鼬のあっしにはよくわかりやせん」仕方なく、その時リンケイが言ったそのままを繰り返す。「人間のことは」
「――あの若い鬼は」リシはキオウを見遣る。「何故、人間の女を妻にしようなどと思ったのだ」
「だから、男と女の何やかんやでやすよ」ケイキョはため息混じりに言いながら、トハキの背の上からも退避すべきか、しかし一体何処へ逃げるべきかと逡巡していた。
「人間と鬼とは、本来あのように」リシは地上を見下ろす。「互いに相容れぬ存在のはずだ」
「スンキ」
「テンニ」
 キオウとリューシュンの叫び声はいまだ重なり合って響いていた。

 

「儂の欲しい物を持って来ただと」

 

 突如耳に届いた他の声に、リシははっと振り向いた。
 そこには楕円に口開く闇の淵が、音も無く、だが凡てに毒をもたらす本質のものであることを隠そうともせず、立ち上がっていた。
「――まさかな」その真っ黒な淵から、黒焦げの顔がゆらりと幻想のごとく現れる。
「その、まさかさ」
 今度は背後にその声が聞こえた。
 リシは振り向いた。
 聡明鬼が龍馬の背の上で、リシの手渡した甕を肩の上に持ち上げ不敵の笑みを浮かべていた。
「ムイだ」

 

◇◆◇◆次号へ◆◇◆◇
 

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コメント:神との邂逅を繰り返すことで、石は透明度を増してゆく──トレシアは自分の持つべき石を見つけたばかりだった。神に訊ねることはいつも一つ。愛する人にいつめぐり合えるのか──そんな無邪気な少女の前に現れた少年、ラミイ。二人は楽しく過ごし、二人だけの秘密を分かち合った。けれど平和な日々はつづかなかった──長編恋愛ファンタジー。

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